議論と論争

ちょっと予定を変更して、今朝思いついた事をメモします。
すぐに書き留めておかないと、本当に忘れてしまうので・・。

という事で、早速本題に入りますが、ツイッターなどをしていると、あるいは他の方のツイートやブログを見ていて、とても残念に思う事があります。

これらの場で、自分の考えや推理を述べたり、疑問を投げかけたりする事は、大手マスメディアが報道しない情報を共有できたり、または権力者や支配者による歴史の改竄や捏造を知る事ができたりするので、大変有り難いものなのですが、その自由な考察に対して、結構、高圧的に(あるいは高慢な態度で)その人の主張や推理展開に絡んで来て、または割り込んできて、議論や回答を要求したり強要している人を見かけます。

「ちょっと、それどういう事?聞き捨てならないし、私には理解できないから、私が納得する様にちゃんと説明して。」

という様な論調です。

でも、これはおかしな事だと思います。なぜ、見ず知らずの人が納得するまで説明する義務を一方的に負わされなければならないのでしょう。

仮に誰かの言っている事が理解できないのなら、一通りその人の書いて来た事や、もっと言えば、他の情報などを調べて、自分で理解しようとする努力をすればいいものを、そうした努力もせずに、いきなり質問を投げかける。

なぜあなたはそういう事を言うのか?と。

私もそういう事が何度かありましたので、わかるのですが、なぜ現時点の考えに至ったのかを一から説明するのは本当に大変な事なのです。

しかもそれを、たまたまネットで見かけた人が、何故そう言えるのですか?どうしてですか?これについてはどう思いますか?と質問攻め。

これでは嫌になるのも当然です。
なので、もうこれ以上の議論をしても不毛であり無意味なので、お互い自分の考えを展開すればいいのではないですか?と言って切り上げようとすると、「あら、逃げるのですか?」となる。

ネット工作員などの常套手段で、無理難題をふっかけておいて、あるいは論点をずらし、言及していない事にまで飛躍して、言ってもいない事を言った事にして批判してくる為、最初から相手にしなかったり、また工作員でなくとも、途中から、説明したり返事を返すのが面倒になってブロックすると、『あいつは都合が悪くなると議論の途中で逃げ出す卑怯者」という事になり、いつまでもそれをしつこく言い続けるので本当に困ってしまいます。

そもそも、自分から絡んできて相手にされないと、何だ、逃げるのか?ってあまりにも子供じみています。

そういう事にうんざりしている私は、いつしか、あまりネット上で議論したり意見を交わす事はしない様になってしまいました。

工作員は論外としても(相手にする価値もないから)、誰かと意見がぴったり一致する事は希で、おおよそ他の人とは多かれ少なかれ、意見や認識の相違があるものです。

この人の言っている事には共感できるなと思っていても、何度かやり取りしている間に、あれ?ちょっと違うかな、という事なんて結構あります。

何かのきっかけでやり取りする様になると、意見がぶつかり合う事もあります。

そこで、喧嘩別れも大人気ないので、何とかお互いの意見の擦り合わせをして、落としどころを探り、合意点の様なものを導き出す事になります。

お互いに意見の違いはあるけれど、これからもお互い頑張りましょう、という話になればまだいいのですが、下手をすると、そこで一気に溝が出来てしまい、逆に疎遠になってしまう事もあったりします。

だから、何が何でもコミュニケーションを活発にすれば、お互いにわかり合える、というのはちょっと違うかなと思っています。

ともあれ、誰かの言っている事が理解できないのなら、すぐに質問を投げかけるのではなくて、一端、自分で調べるという事は必要だと思います。

ましてや、私が納得するまで説明して、は論外かと。
あまりにも自分本意で、一方的に相手に負担を掛ける言動だと私は思います。

仮に自分で調べて納得できたなら、他の人にもそれを伝えたり、ある人が言葉足らずで説明しきれていなかった部分を補足したり、誤解されていそうな部分は誤解を解く説明などの控えめな“後方支援”をしたり、被支配層である一般ピープルが支配者の嘘や欺瞞や悪しき計画を見破る為に、皆で共有すべき知識や論理の強化や確立に、影ながらでも寄与すればいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

そして、どうしても納得できない理論なら、自分の持ち場で、批判や反論や自説の展開をすればいいだけの事だと思うのです。その人の説に納得した人が多ければ、いずれそうした論調が広まるでしょうから。

なので、わざわざ真っ向から意見が対立する人と、正面からやり合う必要はなく、むしろやり合えばやり合う程、溝は深まり禍根を残す様な気がしてなりません。

一時的な誤解や言葉のすれ違いによる確執があっても、その人の言っている事が本物であれば、その誤解や確執はいずれ解消すると思います。同じものを目指す者同士、文字通り“同士”として、いつしかまた自然に惹かれ合うものではないでしょうか。

これは男女の恋愛感情といったものではなく、人間として惹かれ合うというのはあると思います。尊敬の念とか、親近感とか、そんな感情に近いかも知れません。

だから、無闇に接近すればいい、というのではなく、そういう微妙な距離感というものを、私は結構大事にしています。

逆に、相手の領域にずけずけと入り込むのは、むしろ自分本意で傲慢ではないかと。
SNSなどは、個人が自分の思う事を発言する場なのですから、名誉毀損などの直接的な被害・加害などがない限り、あるいは公序良俗に反するものでないのなら、誰かが誰かに説明する責任を負うという事はないはずだと思います。

集団ストーキング被害者目線で見ればの話ですが、何の関係もない赤の他人に対して、思考やプライバシーにまで土足で入り込み、介入し、いちいち批評する様な傲慢さと無神経さは、集団ストーキング加害者だけで十分です。

みんな、それぞれの答えを探して手探り状態で歩いている最中なのに、そこに自分から押しかけて、これはこうで、あれはこうで、だからこういう風に考えないのは間違い、という様に、まず結論ありきの自説を押しつけるのは本当に誰の為にもならないと思います。

「私はこう考えているので、あなたもこう考えなさい。」

「私の知識や見解は正しいけれど、あなたのそれは間違っている。」

そうではなくて、

私はこう考えているけれど、あなたは違う考えなのですね。ではお互いにそれぞれの見解に沿って、お互いに追求していきましょう。でも直接的な議論や論争をしても平行線なので、これ以上、接触するのはやめましょう、でいいのではないでしょうか?

細かい考え方などの相違はあっても、向いている方向が同じなら、同じゴールを目指し、適度な距離を保ちつつ、また、お互いのスタンスを尊重しつつ、ゴールに向かって歩いて行けばいいとと思うのです。

少なくとも私はそう思います。


ただ、あまりにも間違った事は直接でなくてもいいので指摘する必要はあると思いますし、相手が工作員なら、容赦せず批判していいと思います。

それとは別ですが、自分は今こういう事を追求しているという時に、それに関連した情報提供は有り難いのですが、全く別の話題を振られたり、あまり見ても参考にならない様な情報、または興味の湧かない分野の情報を一方的に送られるのも、案外、困ってしまうものです。

その人が自分のツイートやブログで書いている分には別にいいのですが、直接URLを送られたりすると、せっかくの好意を無駄にしてはいけないという心理も働き、一応その情報を読まなければならない為、時間がない時や疲れている時、他の優先したい事がある時にはかなり負担になってしまうのです。

自分ではその人の役に立っているつもりでも、実はその人の足を引っ張っている、という事にもなりかねません。所謂、善意の押しつけです。

無意識にそうした事をしている悪意のない人も結構いるので、逆にそれを利用すれば、理解者や追求者の振りをした妨害工作も成立してしまうのです。

この戦法を使うと、例えば無理難題を吹っかけたり、無茶振りをしておいて、または執拗に食い下がり、相手が辟易して、多少口調が荒くなったり失言をしたり、更には暴言でも吐こうものなら、鬼の首でも取ったかの様にそれを言質にして、あの時あの人はこんな言葉を吐いた、などと執拗に非難を繰り返し、その人の評判や信頼性を落とす事も可能であり、工作員による印象操作に使われるのは自明です。

政治家や公人ならまだしも、そうではない誰かのちょっとした失言を、大多数で一斉にバッシングするという風潮もどこか危険な臭いがします。

まるで、差別発言をしたと言い掛かりを付けて、“糾弾会”を開き、吊し上げていたどこかの解放運動を彷彿とさせます。そんな糾弾会など、某解放同盟だけで十分です。

その様な事を意識しなくとも、お互いの言動をお互いに監視し合い、ちょっとした言葉の選択を間違えただけで、ああでもない、こうでもないと言い争うのはやはり不毛。と言うよりも、相互監視させ、分断して統治したい支配層や既得権益層の思うつぼです。

皆が自分で自分の首を絞めている事にも気付かずに、“ネット自警団”になってしまったら、喜ぶのは誰ですか?

その時間やエネルギーは、本来自分が追求していた事の情報収集などに向けられたはずなのに、予定外の論争に巻き込まれ、たった一人の、自分とは意見や認識の違うネットユーザーを納得させる為だけに消費してしまう結果となってしまうのです。

恐らくそういう事を意図して近づいて来たと思われる人物も何人かいました。個人的に情報交換したいなどという理由で・・。(情報交換したいと声を掛けて下さった方全員という事ではなく、その中の一部にそういう方もいた、という意味です。)

私が思うに、他の被害者の人にとっても有益な情報であるなら、個人的なやりとり(情報交換)ではなく、オープンな場で発信した方がいいのではないかと思うのですが、中にはどうしても個人的に情報交換をしたいという方もいて、もしかしたら別の目的がある(あった)のではないかと思ってしまうケースもあります。

その様な事もあり、今では個人的なやりとりも殆どしなくなりましたが、いずれにしても、まさにそうした心理戦が仕掛けられ、繰り広げられているのがネットでもあり、だから疑う必要のない人まで疑ってしまったり、余計な詮索もしてしまい、結果孤立するという悪循環。

だからと言って、あまりにもガードを緩めすぎれば、工作員が一斉に寄って来まて、それらに対応しているうちにいつの間にか、あれ?自分は何を追求していたんだっけ?という事にもなりかねません。

だから、適度に警戒し、適度に信頼するというのがいいのではないかと個人的には思っています。この距離感というのは結構重要かと。

あと、マインドコントロールもありますから、お互いに仄めかしワードを無意識に言ってしまったりしますので、これがまた分断工作にはとても威力を発揮します。

なので、交流交流と煽られて、交流する事が目的の様になってしまうよりは、やはり自分の追求したい事に専念する、それが今の私には一番合っているのかなと思っています。

そんな中で、私の発する情報が誰かの、何かの役に立てば、それでいいとも思います。

嘘かデマかもしれない情報や伝聞よりも、自分の目で見た事、体験した事は、紛れもない事実。

良い悪いとか、加害だ加害ではない、と言う判断は別にして、「その事象がその時発生していた」という事実が事実である事には変わりはないと思うから。

以上、思いつくままに・・。

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