動画や画像を投稿するメリットとデメリット

ネットに画像や動画を投稿する行為は、一歩間違えればプライバシーの侵害、肖像権の侵害、名誉毀損行為にあたる場合があります。また他の方の動画などから引用すれば、著作権侵害になる場合もあります。

しかし、組織犯罪の被害者のみならず、一般の人であっても、至る所に仕掛けられた盗撮カメラによって、トイレに入ったり着替えや入浴をする所、また足元に忍ばせた小型隠しカメラでスカートの中を盗撮し、あろうことかそれを販売して金儲けしている様な不逞な輩までいるのです。多くは暴力団やヤクザが絡んでいると思います。警察も仲間なので、それを本気で取り締まる事もありません。それどころか、スカートの中を盗撮したのが公務員だったり教職員だったりするなどザラにあります。ネットで「公務員 不祥事」などで検索すれば多数ヒットする事でしょう。

何より、警察自体が特定個人を対象に盗撮をしている疑いが濃厚なのです。どういう理由なのかは知りませんが、一方的に危険人物という認定をして、この人物は監視する必要がある、などともっともらしい理屈をでっち上げ、特定個人を24時間監視(盗聴・盗撮)しているのです。それに協力する事で潤う公務員や一般市民、企業、そして汚れ仕事を担当するカルトや暴力団。

私は霊的な現象や異星人(爬虫類型人間等)による監視や妨害などもあると思っている為、そうした事にもよく言及しますが、それだけでなく、人間のエージェントも確実にいると考えている為、両方の視点から真相を探っています。そしてどちらか一方では片手落ちだと思っています。人間だ、いや宇宙人の仕業だと互いの主張を譲らず、言って争っていたのでは、永久に真相には到達できない様に思います。

いずれにしても、こうした人物達が、法令を厳守してルールやマナーを守り、日本国憲法によって日本国民全員に保証され不可侵であるはずの国民の基本的人権や幸福追求権、プライバシー権を尊重し、干渉や侵害する事なく、公序良俗に違反しない全うな生き方をしているのなら、その様な事(動画や画像を使った情報発信や問題提起)をする必要もないと思います。

しかし、今の状況を考えれば、その様な悠長な事は言っていられないのではないでしょうか?

画像や映像による訴求力は、言葉のそれを遙かに凌ぐ威力があり、画像や映像なくしては、真相に迫れない、暴露できない事の方が逆に多いのではないかと思います。

ただ単に言葉で説明されても、ふ~ん、そうなの?で終わってしまう事でも、1枚の写真や画像、一つの映像があるかないかでは雲泥の差である事に、議論の余地はないと思います。

もちろん、画像だけでなく、そこに適切な、そして説得力のある説明がなければ、画像や映像を見ても、何の事かわからない場合も多いので、その二つを組み合わせる事に大きな意味があると思います。

ただ、映像や画像には、捏造や合成ではないのか?という疑問や疑惑が付いて回りますが、これは言葉であっても同じ事が言えます。嘘という捏造がありますから・・。

いずれにしても、画像や映像であれ、言葉の集合体である本やネットの記事であれ、全てを鵜呑みにするのは危険ですから、そこは私も注意を払っていますが、例えば自分が普段撮影しているものを他の方が投稿されていたり、数々の動画で一致する奇妙な特徴とぴったり一致する様な動画なり画像であれば、それは多分本物だと思えるのです。

そして、何もかも疑っていたらキリがありませんから、そういう人は一切の情報を遮断した方がいいと思いますが、それでも真相を知りたい、追求したいという人は、たとえ仮説であっても、また、合成の可能性が完全に排除できないものであっても、それを追検証する事で、本物か偽物かが判明する事もあると思います。

画像や映像には、せっかくこうした利点があるのに、それをルールやモラルで自らをがんじがらめに縛り、規制し、あるいはそうした行為に対して神経質にヒステリックに批判して、せっかくの強力な武器でもある画像や映像の破壊力(いい意味での、嘘を暴露する力)をみすみす放棄し、真相が明らかになるかもしれない可能性を潰してしまうのは得策ではないと思います。全くナンセンスだと思います。

ただ、他人に嫌な思いをさせる行為を容認したり推奨するものではありません。その苦痛がどれ程のものかは私自身がよくわかっていますので、そういう事とは別の問題として考えて頂けたらと思いますし、私が今回言いたい事はそういう事ではないのです。

「自分は、そんなモラルに反する事はしない、きちんと法律を守る良識人」という枠に収まっていたい人はそれでいいと思いますし、バッシングされる事もないでしょう。安全な道を進みたい方に、リスクを伴う事を強要する事は控えるべきかと思います。

ただ私が思うのは、その様な「モラルと安全の枠内」に行儀良く収まっている“良識人”や“いい人”というのは、他の人に害を与えない代わりに、何かを変える事もないのでは?などと不遜にも思ってしまいます。非常におこがましい言い方ではありますが、それが実態ではないでしょうか?

無難な事だけをしていたら、無難な未来しか訪れない。
ではその無難というのは誰にとっての無難なのでしょうか?
私達下々の民衆にとっての無難でしょうか?
多分それは違うと思います。
それによって守られるのは、権力者や特権階級。

そういう事だと私は考えています。
なので、多少モラルやルールから外れたとしても、あるいは法律に抵触する危険があっても、画像や動画の投稿は続けるつもりです。

ただし、個人の私生活にまで介入して、トイレや入浴中、就寝中の様子を逐一監視し、盗撮し、それを見て笑いものにしたり、それを売って利益を得るなどという、およそ人間の所業ではなく、気の狂った変態のする様な事は、絶対にしませんし、したくもありません。また気持ち悪くて、そんなものを見続けるのは拷問以外の何者でもありません。

そして、その様な醜い行為を続ける集スト加害者や偏執狂と同じ事をすれば、即ち自分の魂が餓鬼畜生と同等、あるいはそれ以下になってしまう事を知っています。おそらく地獄行きは免れないと思います。

ですから決してそういう類の映像や画像の投稿をするつもりはありませんし、その様な映像は手元にありません。あくまでも、問題提起や判断の為の資料としての映像や画像の投稿に留め、無関係な人を巻き込まない配慮は必要と思います。

また、容姿などに対する誹謗中傷の文章は書かない事、あくまでも人間の骨格や体の構造から見て違和感があったり明らかに逸脱している部分についての指摘である事、悪意のある表現や強調はしない、自分で撮影した映像であれば、できるだけ本人が特定できない様に加工する、但し、それが偶然ではなく意図的であり、それらを説明できるだけの根拠がある場合はケースバイケース、そうした基準で投稿しています。

他の方の動画からのキャプチャーの場合、ご本人からの削除要請があれば応じます。

私はこうした個人的な基準を作り、できるだけ逸脱しないように気を使っているつもりなのですが、他の人から見たら、あれはやり過ぎだと思う場合もあるかもしれません。私の以前の投稿で、少し限度を超えてしまった事もあったかも知れません。ただそれは、真相を明らかにしたい、そういう思いが根底にある事をご理解頂ければ幸いです。

このまま皆が分別を弁えた正しくて良い人ばかりであれば、この世界はどうなってしまうのか、まずそれを考える事が大事ではないでしょうか?

皆が他人の目や批判を恐れ、ひたすらいい人を演じているなら、何かとんでもなく欺瞞に満ちた未来を受け入れる事を認める事になりはしないのか?そこをよく考えて頂けたらと思います。

法律やルールや規則やモラルや良識や他人の目に囚われ、怯え、抗う事や追求する事、暴露する事を放棄してしまった末に訪れる未来とは、一体どんな光景なのでしょうか。

ほんの少し想像力を働かせるなら、その光景がありありと浮かび上がって来るのではないでしょうか。
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