被害のランク付け

被害者の被害の程度というのは人それぞれ、千差万別です。被害内容も然り。ハイテク中心だったりローテクメインだったり、脳内音声がある人ない人もいて、同じ被害者と言えども一様ではありません。

ネットを使って被害を訴えている人、ネットでは発言せず、ひたすら耐えている人、言いたいけれど言えない人、被害に遭っているのに気付いていない人・・色んな方がいると思います。

本当に被害が重度であっても口に出さない人もいる一方で、比較的経度の被害でも自分は死ぬほどの被害を受けていると言う人もいると思います。

それで他の人の被害を推し量る事も当然ながらあるのですが、その時に、自分の独断や偏見、見解などで、あるいはその人の活動によって、他の人の被害の内容や被害の程度を決めつけたらいけないのではないかと思うのです。

何故なら、その人がどういう被害を受けているのか、どれだけその事で悩んでいるのかなんて、実際にはその人にしか分からない事です。24時間生活を共にしていれば分かるかもしれませんが、普通はその様な事は不可能です。

傍目からはすごく元気そうに見えて、だからあまり大した被害はない様に見えても、そう見える様に振る舞っているだけで、心の中では死んでしまった方が楽だと思っている人もいるかも知れません。

それなのに、自分の物差しで他の人の被害の程度やダメージを推測して、こういう人は被害が軽いから私に比べたら全然恵まれている、などの様に決めつけるのは、その人に対する冒涜ではないかと思うのです。これは私自身の反省や自戒も込めて書いているのですが、例えばネットで発言できる様な人はまだまし、被害が軽い方、などと決めつけるのはどうなのかと思います。

というのも、なぜそう言い切れるのか、その判断の根拠が非常にあやふやで曖昧で、その人の憶測に基づく非常に独断的なものだと思うわけです。

どうしてその人に他の人の被害の程度や心理的、身体的ダメージの程度が分かるのでしょうか?
こういう人は被害が軽い・・と断定している人がいたとして、本当にそうなのでしょうか?

他人の事をわかったつもりになっていても、案外わかっていないものです。

下のツイートは、ネットで被害を訴えていた方で自殺された早坂学さんという被害者の方の最後の投稿です。



早坂さんのブログ
希望のある日が来るまで


不審火で亡くなられた被害者の方が、最後に投稿された記事。
待ち伏せ


他にも動画やブログで積極的に被害を訴えていた方で、更新が途絶えてしまった方も、私の知っている範囲で何名かいらっしゃいます。

私にはこの方々の被害が軽いとはとても思えません。かなり苦しい状況であった事は容易に想像が付きます。なのに、ネットで発言しているからまだまし、本当に被害の酷い人は発言もできない、という様な意見には非常に違和感を感じます。

そもそも、被害の重い軽いを競う必要も、不幸自慢をする必要も全くないと思います。私の方が被害が重い、いえあなたはこういう事をしているからまだ軽い方・・・そんな所でどちらが被害が重いかを競い合っても全く無意味で不毛だと思います。

例えそういう意図がなかったとしても、ツイッターで発言できる人はまだまし、などと言う意見をツイッターを利用している人が見たらあまりいい気持ちはしないのではないでしょうか。

私は本当の被害者かどうかはかなり気にしますが、そして警戒もしていますが、その方が本当の被害者であれば、被害の重い軽いなどはあまり気にしません。と言うかそれで言い争ったり否定しあったりする必要など全くないと思っています。被害の辛さを心の底から分かち合える人は、同じ被害者を差し置いて他にいないのですから、なぜそこで争う必要があるのかと思います。

成りすまし(偽被害者)ではなく本当の被害者が何をすべきかを考えると、被害の重さを自慢したりひけらかす事ではなく、被害の軽い人を軽んじる事でもなく、ましてや競い合う事でもなく、否定や攻撃する事でもなく、順位やランク付けする事でもなく、同じ被害者としてこの問題の解決に向けて自分のできる事をしていく事ではないでしょうか。

結果の出る行動、結果に繋がる行動を少しでも続ける事、それしかないと思います。

私は街宣を否定しているわけではありませんが、街宣だけが行動または活動であるかの様な事を言う人もいて、それには以前から違和感を感じていました。ネットで発言や発信する事も行動(活動)だと思います。街宣では必ず「ネットで検索して下さい」と呼びかけているのに、主にネットを使って訴えている人を「活動していない」と断じ、否定するのは矛盾している様に思います。

誰にも向き不向き、得手不得手がありますから、適材適所で得意分野を活かせばいいと思います。また、苦手な事を苦手な人に押しつける事が効果的な活動とは思いません。

皆が自分の得意とする事、自分に向いている事、自分のできる事をしていけばいいのに、同じ被害者の言動を見て批評したり否定したり品定めしたり揚げ足を取ったり粗探しをしたり・・そういうのはやはり不毛だと思います。

以前、少し言い争いになったことがありましたが、街宣をしない人は被害が軽いとか本当の被害者ではないとか活動をしていないとか、そういう方向に持って行くのはどうなのかと思ってしまいます。

私は自分に対して言い掛かりを付けて来たり風評を流している相手に対しては、きっちりと反論はします。ただ本人と言い合っても泥沼になるだけなので、このブログ上で自分の反論をします。私が気付いていないケースもかなりあると思いますが、全てに対応はできませんから、気付いた範囲で、また可能な範囲での反論になります。無視するのも一つの方法ですが、あまりにも的外れな印象操作や中傷をする相手に対しては、きちんと指摘し真っ向から反論する事も時には必要だと思います。

また偽被害者や工作員に対してもかなり強めに批判や反論をしますが、そうでない場合は、特定の被害者、または「こういう被害者は・・」の様な括りで注文を付けたり批判する様な事はあまりしていないと思います。と言うより、しない様にしているのですが、それとも無意識にしてしまっているのでしょうか。またこの様に書く事自体が批判だったり注文を付けている事になるのかも知れませんが、批判というよりは指摘のつもりで書いています。

間違った印象が定着してしまう場合はやはり指摘をしないわけにはいきません。逆に、私が変な方向に誘導していると思っている人もいるでしょうから、その様な事を批判したり指摘される人もいると思いますが、根拠のない、あるいは全く的外れな言い掛かりや誹謗中傷、愚弄、侮辱でない限りはその様な発言をする事もその人の自由ですし、そういう事を言うなとは言えません。それに対して私も反論する事はありますし、反論しないでいるといつの間にか認めた事になってしまったりで、何かとややこしくて面倒なのですが、こんな事を書きながら私自身が混乱している所もありますので、読まれている方も混乱されますよね。m(. .)m

いずれにしても、本来であればこの犯罪を解明し加害者に向けるべき批判や追求が同じ被害者に向いてしまっている人、結構いる様に思います。向いている方向が少しずれていないでしょうか。この組織犯罪による被害を解決する事が第一であって同じ被害者の観察や粗探しがメインになってしまっては本末転倒だと思います。

ただし、この問題の解決を妨げている大きな要因の一つとして偽被害者の存在があり、無視できないのも事実です。それがあるからこそ被害者同士で牽制しあったり疑ってしまったりして、本当の被害者が繋がる事ができずにいるのです。

そういう理由もあって、被害者同士の確執、あるいは工作員とのごたごたに振り回されている間に本来の被害の解明、追求、告発に向ける時間が奪われてしまう為、普段はそこに入り込むのは避けているのですが、たまたま他の被害者の人のツイートなどを目にすると、つい一言二言言いたくなってしまう事もあります。なので今はあまり多くの方のツイートを見る事ができなくなってしまいました。

という事でうだうだと書いているうちに自分でも何が何だか訳がわからなくなってしまったのですが、今回私が言いたかったのは、被害者同士による被害自慢とか被害の程度によるランク付け、プロファイリング、レッテル貼りの様な事は実に不毛だと思うわけで、何よりも重要な事は被害が重い軽いを認定してレッテルを貼る事ではなく、集団ストーキングという馬鹿げた犯罪を一日も早く終わらせる事ではないでしょうか。


昨夜公開した動画です。


被害者の方には、映像よりも音声から何かを感じ取って頂けるのではないかと思います。
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